夢のレイアウト製作記 1 〜今度こそ〜
★小学校時代★
鉄道模型は鉄道に興味を持ち始めた頃からやはり始めていました。小学校の終わりごろ、初めて手に入れた車両はカツミの「キハ02」です。線路は、やはりカツミの金属道床レールの半径が450mmのものでした。キハ02はレールバスで、最近はローカル線でよく見るものですが当時は大阪近郊では実車を見ることもできない珍しいものでした。車両も、レールも手に入れやすい価格すなわち一番安く買えたので選んだのだと思います。とにかく「鉄道模型」というものを手に入れ畳の上でエンドレスのレールを敷きぐるぐる回らせて楽しんだものです。その後、キハ02は壊れてしまい次に買ったのがカツミの「EB45」だったと思います。パンタグラフのついた電気機関車です。あとでわかったのですが、EB45はフリーのモデルでしたがしばらくは実在する機関車だと思っていました。それから、貨車も数台手に入れて、「列車」を楽しむ日々が続きました。小学校時代はまだNゲージの存在をあまり知らず鉄道模型というのは16番ゲージが一般的でしたが本格的なものは値段も高く全く高嶺の花でした。そしていつの間にか箱にしまったままになり運転することも次第になくなっていきました。
★中学時代★
次の鉄道模型との出会いは中学に入ってからです。新しくできた友だちの家に行くとあまり見慣れない、小さくて精密な電気機関車と数両の客車がエンドレスの線路を調子よく走っていました。関水金属製のEF65と20系客車です。ここで、Nゲージと初めて出会ったのです。今まで16番しか知らなかった私は、その精密さと軽快に走る姿に驚き「これからはNゲージの時代なんだな。」と、思うようになりました。その友人には鉄道に関していろいろと教えてもらいました。「鉄道模型趣味」という雑誌や、保育社という出版社の「カラーブックス」という文庫本ぐらいの大きさの本、そのシリーズの鉄道モノは私の鉄道心を大変刺激し「日本の鉄道」などは、穴があくほど毎日ながめていました。そして、近くのおもちゃ屋しか模型店は知りませんでしたが、大阪では有名な梅田の「マッハ模型」にも連れて行ってくれました。
「鉄道模型趣味」を毎月読むようになると、いきなりレイアウトというものが欲しくなりました。ただし、安いといってもNゲージの列車をガンガン走らせるほどのレイアウトは作れそうにもありません。といって、あまり小さなレイアウトではいわゆる「列車」を走らせることも出来ません。そこで目に付いたのが「軽便鉄道」のレイアウトの記事です。これなら900×900mmのレイアウトでも楽しめそうでした。そして、無謀にもレイアウト建設を始めてしまいました。まず、ボードを用意しリバースの線路を敷き車両もNゲージの下回りを利用して車体はペーパーで自作してみました。貨車はナロー用のものを数両買うことが出来ました。ところが、関西本線などの蒸気機関車を撮影に行ったりすることの方が多くなり小遣いを模型に回すことはほとんど出来なくなりました。結局シーナリーを作るところまで行かないまま、今度は高校受験の時期となり終わってしまいました。
★高校時代★
高校時代も撮影に行くことの方が多かったですが、模型も細々と楽しんでいました。小遣いも少し多くなり長期休みにはアルバイトもしていたので再び16番ゲージに手を出していました。カツミのB型電気機関車も手元に残っていましたが分解してモーターを利用したりして原型はもうありませんでした。資金が少しできたとはいえ、機関車を買うほどでもありませんでしたので「ロコモデル」のペーパーキットで、阪和線の旧型国電などを作りました。何とか3両編成で、それらしいものが出来ました。蒸気機関車も「B20」は、買うことが出来ました。でも、450Rの線路では20m級の車両を走らせることが出来ません。家では、ほとんど走らせることなく飾っていましたが高校の鉄道研究会で何人かで車両や線路を持ち寄りかなり大きな組み立て式レイアウトで走らせることが出来ました。文化祭では「運転会」なるものも行いました。そのころの車両は高校に置いてあったのですが卒業時に置いていってしまい、高校卒業後は鉄道趣味から遠ざかったのと同じく模型も全くやめてしまいました。
★今度こそ★
次の出会いが、いよいよ今につながっているものです。大学卒業後あるところで知り合った友人が鉄道ファンであることがわかりました。年齢も趣味も同じで気が合い親しくしていましたが関西から、親元の横浜へ帰るときにNゲージの車両や線路を大量にくれたのです。車両はDD51・2台、DE10・客車貨車数台です。線路はKATOのもので、敷き詰めると畳1畳分を越えるレイアウトが出来ます。初めて自宅で「列車」を走らせることが出来るようになりました。今から15・6年前のことです。ただ、組み立て式ですので時々出したりしまったりしていましたが結局はしまうことの方が多くなってしまいました。そして、ここ何年かは全くしまっていましたが、2年ほど前に鉄道趣味を再開した頃から再び引っぱりだして走らせたりしていました。そして、2001年5月引っ越しを機に固定レイアウトの製作に取りかかることにしました。小学校時代からの「夢のレイアウト」に向かって今度は本当に実現させたいと思っています。(2001年5月)
2001年5月「今度こそは」と、いよいよ作り始めたレイアウト |