私と蒸気機関車・鉄道(2000年11月28日更新)
●子どものころ大阪市内で過ごした私にとって蒸気機関車は,旅行に行ったときに見たかすかな記憶しかありませんでした。夜になると聞こえる蒸気機関車の汽笛が城東貨物線を走るD51だとわかったころ世間では「SLブーム」と呼ばれ新聞やテレビではいろいろな情報が流れてきました。しかし,まだ小学生では蒸気機関車に関する雑誌の切り抜きやポスターを集めることしかできず,まともに蒸気機関車を見たことがありませんでした。そして,行動範囲も広がってきた6年生になったある日,友人と3人で城東貨物線まで自転車を走らせました。しばらく待っていると踏切の警報機が鳴りついにD51が見られると思った瞬間,目に入ったのは蒸気機関車ではなくもっと新型の機関車でした。後でわかったのですがDD51です。近くの人に,蒸気機関車は来ないのかと聞くと「先週まで走ってたで」という答え。がっかりして家路につきました。どこに行けば見られるのか全く見当が付きませんでした。そして,小学校を卒業した頃「時刻表」というものの存在を知り「D51伊賀号」という列車が近くの関西本線を走っていることがわかりました。

●関西本線「平野駅」には正月に初めて買ったカメラ(MINOLTA 16PS)を持って自転車で出かけました。歩道橋の上で待っていると高架部分から下ってくるD51が見えてきました。高鳴る気持ちを抑えシャッターを切りました。初めて撮影した蒸気機関車です。その日は,満足感にひたり家に帰りました。

関西本線 平野付近
1972年4月2日撮影 MINOLTA 16PS
D51 882 デゴイチ伊賀号

(中学1年)

●中学校生活が始まりしばらくは,どこにも行けませんでした。そして,「蒸気機関車の引く客車列車マーク」のついた時刻表を頼りに夏休みに関西本線の柘植駅に父親の車で連れていったもらいました。客車列車は見られませんでしたがD51が次から次へと現れ手当たり次第にシャッターを切りました。はじめて,蒸気機関車を求めて遠くまで来たのがこの時です。

関西本線 柘植駅
1972年8月20日撮影 MINOLTA 16PS
 D51 940+882
(中学1年)

●その後、1972年11月に創刊された「SLダイヤ情報」を頼りに中学1年から2年の9月、関西線から蒸気機関車が無くなるまでほとんど毎月写真を撮りに行っていました。関西線のD51無き後、まだ蒸気機関車の走る九州や北海道へと気持ちは動いていました。北海道は行けませんでしたが、九州行きを中学2年の冬休みに友人と3人で実現させたことは今も深く心に残っています。


1972年11月に創刊された、「SLダイヤ情報」

関西本線 奈良駅
1973年1月6日撮影KONICA  C35  
D51 940
(中学1年)

日豊本線 田野-青井岳
1973年12月26日撮影 KONICA  C35
C57 39
(中学2年)
●国鉄から蒸気機関車の姿が消えた後も、近くでは福知山線や阪和線など興味深い車両の走るところへはよく出かけました。また、夏休みなどはふだん行けない路線を目指して普通列車や夜行列車を乗り継いでよく旅に出ました。長距離はほとんどが一人旅でした。一人が好きだということもないのですが、友人との都合が合わなかったことや、一人の方が好きなところへ行けるメリットもあったからだと思います。

東洋活性白土  
1976年8月17日撮影  OLYMPUS OM-1
(高校2年)

福知山線 武田尾付近  
1976年9月19日撮影  OLYMPUS OM-1
735レ  DD51

(高校2年)

●鉄道趣味は、1984年の別府鉄道の訪問以降は休止状態でしたがいつか再開したいと思っていました。そして、昨年(1999年)ぐらいから鉄道に対する気持ちが再燃し再び写真を取りに行くようになりました。また、中学高校時代よく一緒に行動した友人が今も撮影に出かけていることを知り、昨年20年ぶりに一緒に撮影に行くことができました。最近では、次はどこへ行こうかと考えながら毎日を過ごしている状態です。

北陸本線 長浜-虎姫
1999年8月29日撮影 OLYMPUS OM-1

「北びわこ号」C56160
(39歳)

紀勢本線 多気-相可  
2000年7月22日撮影 CANON EOS-55
紀勢本線に唯一残る貨物列車、3161レ
(40歳)