なつかしの関西本線パート10

急行「しらはま」
1980年 奈良
2003/6/8投稿

急行「しらはま」サボ
1980年 伊賀上野
2003/6/8投稿
こんにちは。梅雨入りを感じますが今日はいい天気ですね。私もユーロ出撃を予定していましたが、用事が出来て行けませんでした。そのかわりと言ってはなんですが、なつかしの10個目として、昭和55年まで紀勢、和歌山、桜井、関西経由で新宮〜名古屋を結んだ急行「しらはま」1号です。奈良〜名古屋を走破した名古屋編成は上りのみの1本だけという変則運転でした。和歌山まで「きのくに」号、亀山から紀州号に併結される多層立て急行でした。別に存在した京都編成ではキロも入った堂々とした姿だったようですが、名古屋編成の1号は晩年はモノクラス3両編成(当初はキロもあったようです)で、全区間を乗り通す乗客は果たしていたのか疑問に思っていました。かつて、同じように関西本線(奈良)を経由し南紀を結んだ急行(準急)には名古屋発の下り列車も存在し、これは「はまゆう」号を名乗ったようです。この辺りは詳しい資料がありませんので間違いがあればご指摘ください。名古屋編成1号の前身は同ルートを結んだ準急「はやたま」号で昭和43年に改名されています。この列車は名古屋〜紀伊勝浦間に設定された夜行準急「うしお」号の車両を名古屋に返却する目的があり、5両を1+4両に分割し、4両が「はやたま」号、1両は「勝浦」号の付属編成として紀勢(東)線を戻り、亀山駅で再び一緒になるという興味深い運用がされていたようです。「しらはま」号の最後は奈良〜名古屋間を残し廃止され「かすが」号へ、京都編成は和歌山〜京都間を残し「紀ノ川」号へと変わりました。写真は実は京都編成のもので奈良での撮影です。名古屋編成もあったのですが、「かすが」との判別がつかないのでこちらを載せてみます。ただし、これも後の紀ノ川号の可能性があります。撮影記録がないためご容赦ください。サボは運行最終日に伊賀上野で撮影しました。中学生でしたが下校後、友人と見送りにいきました。何人かのファンが居り、駅員から「しらはま」号を見にきたんやなと声をかけられたのを覚えています。
(天ナラ)